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登米簡易裁判所 昭和45年(ろ)11号 判決

被告人 須藤誠記

大六・五・七生 製材所事務員

主文

被告人は無罪。

理由

一、公訴事実

本件公訴事実は「被告人は昭和四五年七月一四日午後一時一〇分ごろ、登米郡中田町浅水字小島一二五番地の自宅において扇風機代金の請求に訪れた三浦一義(二九年)と口論し、同人に左眼附近を一回殴打されたことに立腹し、同人と取組み合いの喧嘩となり、同人を屋外に転落させる暴行を加え、よつて同人に対し約一週間の加療を要する右手打撲症等の傷害を与えたものである。」というのである。

二、当裁判所の判断

(証拠略)を総合するとおよそ次のような事実が認められる。

被告人は昭和四四年の春ごろから数ヶ月の期間ブラザーミシン株式会社迫営業所(以下会社という。)にセールスマンとして勤務していたころ、千葉三郎という者に扇風機一台を月賦販売したが、間もなく同人が扇風機の返品を申し出たので、被告人が販売した関係で同人が買主としての地位を引継ぐことになり、ここに被告人と会社との間に右扇風機につき所有権留保付の月賦販売契約(代金一万三、八〇〇円、一ヶ月の割賦金一、五〇〇円)が成立するに至つた。その後、被告人は同会社をやめて家族とともに東京に移転したりしたため右割賦金の支払を遅滞していた。その後、会社としては被告人に対し直接に、あるいは同会社新宿営業所を通じたりして再三割賦金の請求をしてきたが支払われずにいた。昭和四五年になつてから被告人が現住所に帰つて来たので、同会社の調査係を担当していた三浦一義は、前記日時に被告人方を訪れ、被告人の妻かづゑに対し、扇風機の所在を質したり、割賦金の支払を求めたが要領を得なかつたので、前記扇風機を持ちかえる旨強く申し入れた。当時、被告人は神経痛のため勤務を休み奥座敷に寝ていたが、妻の知らせで起きて寝巻姿のまま茶の間に行き、すでに同間の土間寄りの炉ばたに腰を下ろしていた三浦と応対し、割賦金は都合が悪くていまただちに支払えないからもう少し待つてもらいたい旨話したが、三浦はいますぐ満金を支払つてもらえなければどうしても扇風機を持つて行くと言つて頑としてきかず、しまいには「今日は必ず持つていかなくてはならない。」と言つて立ち上り、被告人方より扇風機をさがしてこれを持ち出すべく茶の間より奥座敷の方に向つて進み行き、同人が次の座敷(次の間は茶の間より約一五糎高くなつている。)内に立ち入つた。その直後、被告人はこれを阻止すべく三浦の前に立ち「そんな権利はないはずだ。」「他人の家へきて黙つてそつちまで行くのか。」「出て行つてくれ。」等と言つて同人の胸のあたりを押した。三浦はそれに激昂し「やる気か。」と言つて手拳で被告人の左眼のあたりを殴打し、同人に対し加療約一五日を要する傷害を負わせるに至つた。被告人は右殴打された結果目まいがし、顔面に血が流れ出し、どうしようもなくなり、また、さらに何をされるかわからないという不安を感じたので、三浦の胸倉のあたりに懸命にしがみついた。これに対し三浦も被告人の胸倉をとり、そこでもみ合いとなり、三浦の力が押し勝つて座敷の東側まで押して行き、立てかけてあつた障子を破り、縁先に胸倉を取りあつたまま転落し、その結果、三浦は公訴事実記載のような傷害を負うに至つた。もつとも被告人と三浦の供述とでは多少の食い違いがあり、その主なる点は、1、次の間に入つたとたん被告人に突き飛ばされて茶の間に転倒しひじに傷害を負つたということ、2、被告人に胸倉をとられて押され、そして引ずられていつて縁先に転落したという旨の三浦の供述である。1、の点について考えてみるに、三浦はそのとき前方に進もうとしていたのであり、その前方に立ちふさがつた被告人に押されただけで茶の間に強く転倒するだろうか極めて疑問である。押した際の力にもよることではあるが、被告人は単に三浦の侵入を阻止するつもりで押したというだけであるから少なくとも突き飛ばしたというような状態ではなかつたものと思われる。しかも、当時茶の間にいた被告人の妻かづゑの司法警察員に対する供述調書中にも三浦を台所(茶の間)まで押し返したとだけあり、同人が転倒したということについては何ら述べられていずその点についての三浦の供述はにわかに信用できない。(仮に押した結果三浦が転倒し、ひじにいくばくかの傷害を負つたとしても、後記結論に影響をおよぼすものではない。)次に2、の点についてであるが先に三浦の胸倉をつかんだのは被告人であるがこれは三浦に殴られて止むなくしがみついたのであり、三浦がこれをふりほどこうとするためだけであるなら被告人の胸倉をつかむ必要はなく、被告人の手をはらいのける等の努力を試みるのが自然であり、それをした形跡は全く認められず、また被告人に押され、引きずられたというが、被告人が茶の間の方に押し返したというのであればともかく、逆に侵入を欲しない奥の方へと押して行つたということは不自然であり、かえつて三浦の方で押し勝つて奥の方へと行つたとみるのが自然である。(ちなみに被告人(五三年)と三浦(二九年)とでは年令にかなりの差があり、その年令差にともなう覇気、活力等の差はいなめないにしても、身長、体格等については外見上著しい差は認められない。また三浦の当公判廷における供述はその供述態度に徴して必ずしもことの真相を伝えているとは思われない。たとえば、被告人方座敷への立入りは、現品の確認のためだとしきりに強調し、扇風機を持ちかえるためだという点についてはことさらに供述を避けようとする態度が見受けられる点などからしてこれをうかがい知ることができる。)

そこで三浦が被告人方座敷へ立ち入つた点について考えてみるに、被告人が扇風機の代金の支払を遅滞していたのであるから会社としてはあくまでもその代金の支払を求めるつもりならばその代金の請求を、現物の返還を欲するならば契約を解除して現物、若しくは、現物なきときはこれに代る損害賠償の請求を、いずれも民事手続によつてその実現をはかるべきであり、代金の支払を遅滞しているからといつて買主が拒否しているのにこれを実力で排除して無理やり持ち去ろうとすることは許されないものといわなければならない。支払猶予をこう被告人の態度、被告人の年令、職業、割賦弁済の経過期間、代金額等を考慮すれば、会社においてただちに現物を持ちかえらなければならないという緊急な事態であつたとはとうてい認めることはできない。

会社の発行する月賦販売契約書記載の契約条項4項には「貴会社が必要と認めた場合は何時でも貴会社又はその代理人が購入機械の検査をすることに同意し、かつその作業を妨げません。」とあり、同5項には「私が上記割賦金支払の約定に違返した場合は……本契約を解除されて機械及び附属品を引揚げられても異議を申しません。」とあり、同6項には「前項により貴会社が機械及び附属品を引揚げるため貴会社又はその代理人が機械の存在する何れの場所にも自由に立入り、その機械及び附属品を任意に他へ搬出することを認め、これを理由として住居侵入の告訴若しくは損害賠償の請求等は決していたしません。」とある。何人も憲法および法律によつて住居の不可侵、自己の占有物についてみだりにその占有を奪われない権利を持つていることは明らかであり、しかもそれは極めて重大な権利である。右のように販売者側に有利で、かつ、買主側の権利侵害を多分にともなうおそれのある条項の効力については非常に問題のあるところであるが、これも買主側のその具体的な状況の場において異議なく同意し立入り、引揚げに応ずる場合はともかくとして、買主が明確に拒否する態度を示しているのにこれを強行することは絶対に許されないものといわなければならない。(被告人がセールスマンとして勤務中、取扱つたのは予約申込書だけで月賦販売契約書を取り扱つたことはなく、また、本件扇風機について会社と被告人との間に月賦販売契約証は作成された事実は認められず、したがつて、被告人は前記条項を知らなかつたものと認められる。仮に知つていたとしても右の考え方に影響をおよぼすものではない。)したがつて、三浦が被告人方より扇風機を持ちかえろうとして同人方座敷に侵入した所為(現物確認のためでも同じ)はまさに目前にさし迫つた違法の侵害行為というべく、被告人がそれを阻止すべく三浦の胸のあたりを押した行為および三浦に殴打されて止むなく同人の胸倉にしがみつきもみ合つた行為はその全体において右三浦の侵害行為に対し自己の権利を防衛する意思のもとになされた反撃行為と認めるのが相当である。

そうすると、被告人の前記行為は正当防衛としてその行為の違法性を阻却し罪とならないものといわなければならない。

よつて、刑事訴訟法三三六条を適用し被告人に対し無罪の言渡をする。

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